中学校や剣道の活動で指導を受けたOBOGもたくさんいることでしょう。2023年も豊里小中学校で生活指導担当、そしてもちろん「体育」を受け持っている和彦先生から 「応援メッセージ」を毎月お伝えしていきます。 頭でっかちでも・体力ばっかりでも足りない 目指すは大人に負けない人間力 2023/2/17 寄稿
3月は別れの季節です。尊敬し、支えてくれた先輩との別れ。職場で仕事をしながら苦労を分かち合った同僚との別れ。我が事のように真剣に指導してくれた恩師との別れ。いろいろな形の別れの中で一つの歴史が幕を降ろします。
悲しい気持ちがあるからこそ,次への出会いに胸を膨らませるのかも知れません。
また,この3月は私にとっても,みなさんにとっても,改めて命の尊さを実感する月だと思います。
誰もが風化させてはならない3.11
東日本大震災。
私も東松島市矢本第一中学校校長時代に震災を経験しました。卒業式前日に発生したマグニチュード9の地
震は何もかもが吹き飛ぶような出来事でした。
引き渡し後,4名の生徒が津波にのまれ,7名の保
護者も犠牲になりました。矢本第一中学校隣の体育館が遺体安置所になり,遺体確認をしたときの残像が脳裏に焼き付いたままです。
「起きろ!○○君。うそだろ!!起きてくれよ」と心の中で必死に叫んでも,学校の運動着のまま冷たくなった生徒達は無言でした。
「おはようございます!」と元気に登校して,校門の前に立つ私にあいさつをしてくれた生徒達が・・・・・・。言葉になりませんでした。
通信網が途絶えた数日後,前任校の石巻市立大川中学校の地区全体が津波にのまれ,多くの犠牲者が出たことを知りました。
初めて校長として赴任した大川中学校。
文科省指定「命の尊さを考える道徳教育」を受けて,大川小学校に出向いて,3年生の道徳の授業に参加した,あの子どもたちが逃げ遅れて津波にのまれたことを知った,そのショックは計り知れません。
大川中学校に赴任した1年目,当時教務主任だった先生が生徒たちと創り上げたミュージカル「ライオンキング」。生徒全員がキャスト,スタッフに分かれて文化祭で発表した物語のストーリーは保護者,教職員も参加する,それはそれは大がかりで,壮大なスケールの作品です。
DVDに収められている子ども,保護者の何人かは帰らぬ人になってしまいました。
その教え子の中に,矢本第一中学校に転勤した私の元にわざわざ「校長先生!!私,女性自衛官に合格し,航空自衛隊に入隊します。」と報告に来てくれたTさんがいました。数日後に航空自衛隊学校に入学する直前に襲った大津波で未来を絶たれてしまいました。
お世話してくれた自衛隊の方が,制服姿のTさんの写真を入隊式に参列させたことを聞き,その配慮に涙がこぼれました。
今生きていたなら女性自衛官として,
この日本の国を守りながら,幸せな結婚生活をして
いただろうに,と思うと心が張り裂けそうです。
犠牲になった大川地区の方々の名前が刻まれた,その石碑の中に彼女の名前を見つけ,そっと指でなぞりました。Tさんを初めとする教え子達やお世話になった保護者や地域の皆様の名前を見つけて合掌するたびに在りし日の思い出を深く胸に刻み込み,今こうして生きていられることが当たり前ではないことを再認識したいと思います。
そしてまた,3月23日は私を育ててくれた母の命日でもあります。
私には二人の母がいます。
90歳で生涯を閉じました。この母を語る前にもう一人の母のことをお話しします。
私を産んでくれた母は心臓弁膜症でした。いつも透けるような色白で,唇はチアノーゼのために紫がかった色をしていたそうです。そんな身体で6歳年上の姉を出産し,すぐ上の姉を身ごもりました。
残念ながら身ごもった姉は生後数週間であの世へ旅立ちました。
どうしても,もう一人子どもがほしいという思いで私を生む決意をしたのですが,担当医からは「この子を生めばあなたの命と引き替えになります」と言われたそうです。
それでも生みたいと決意し,昭和29年7月7日に私がこの世に生を受けました。そして,10ヶ月後の昭和30年4月26日,母はこの世を去りました。
どんな思いで私を見つめてくれていたのでしょう。どんな気持ちで,我が子だけを置いていく悲しみと向き合っていたのでしょう。
「母の声を聞きたい。母の手を握りしめたい」と何度となく思いました。
母の命と引き替えに,今の私がいます。
育ての母は私が2歳になろうとする頃に父と結婚しました。父は警察官で,刑事だったこともあり,とても男手一つでは,育て上げることができないと思ったことと,生んでくれた母の母(私の祖母)が私たちを不憫に思い,一生懸命に嫁になる相手を探してくれたようです。
その母が,育ての親だと知ったのは小学5年生の頃でした。それまでは全く知らないでわがまま,気ままに母親に反抗していたのですが,その事実を知った私は「こんな気ままな自分を一生懸命そだててくれる。ありがたい!」と幼心に少しずつ思うようになりました。
父親とぶつかるたびに私の側について私を守ってくれた母。他の人が生んだ子どもを我が子と思って育て上げることは並大抵の苦労ではなかったはずです。
父と母の間に生まれた弟と分け隔てなく,精一杯の愛情を注いでくれたことには感謝しかありません。
私がいろいろなことで悩んでいるときも「一回きりの人生だから,思ったようにやってみればいい」といつも背中を押してくれた優しい母のあの面影が忘れられません。
私が今こうして生きていられるのは,二人の母の愛情があったからです。
私の命は二人の母の命でもあります。
命のバトンタッチ!!
私ももうすぐ命のバトンを渡す日が来るでしょう。
それまで,いただいた「限りある命」を少しでも多くの人のために使いたいと思います。
「この世の中で一番」
この世の中で一番
美しい名前 それはおかあさん
この世の中で一番
やさしい心 それはおかあさん
おかあさん おかあさん
悲しく 愉しく また悲しく
なんども くりかえす
ああ おかあさん
サトウ ハチロー