中学校や剣道の活動で指導を受けたOBOGもたくさんいることでしょう。2023年も豊里小中学校で生活指導担当、そしてもちろん「体育」を受け持っている和彦先生から 「応援メッセージ」を毎月お伝えしていきます。 頭でっかちでも・体力ばっかりでも足りない 目指すは大人に負けない人間力2023/1/18 寄稿
明けましておめでとうございます。
ここ数年はコロナ禍のために「20歳の成人の集い」後に行われる同級会も大々的には行われていなかったようです。そのため,私たち教師も招待状のないお正月が続いたのですが,今年は2つの学校からお呼びがかかり,同じ会場で,同時刻から始まった同級会に行ったり来たりの大忙し!!
あどけなかった子どもたちの成長した姿に,痛んだ懐もどこかに吹っ飛んでしまいました。
私たち教師がこのように感動するのですから,スーツ姿や着物姿に変身し,「二十歳の集い」に参加した我が子を見る親の気持ちは計り知れません。
生まれた時の喜び,歩き始めた頃の可愛らしい姿,あどけなかった小学生の頃,汗まみれの中学生時代,高校生になって大人びてきた姿・・・・あの時,その瞬間が走馬燈のようによみがえるのではないでしょうか。
令和5年を迎えた1月5日の午後9時過ぎ,突然玄関のチャイムが鳴りました。「今頃誰だろう」と思いながらドアを開けると,そこには運動着を着た若者が二人。
一人は近所の,佐沼中学校時代にバスケットボール部の顧問をしていたときの教え子のK.K君。(現在は国立一関工業高等専門学校2年生に在学)
もう一人は東和町に住みながらも佐沼中学校に通学した生徒で,山形県の高校にサッカー留学した高校2年のT,T君でした。
真夜中のトレーニングの最中に立ち寄ったとのこと。あどけなく,やんちゃだった中学1年の頃には想像もつかないくらい背が伸びて,まるでジャニーズJr.にスカウトされるような美男子に成長していました。
このように,なにげなく立ち寄ってくれるところがすごくうれしかった・・・・こんな瞬間なんです。教師をしていて良かったと思う時は!!
教え子達に会うと,よくこんな言葉をかけられます。
「先生!私のこと覚えていますか?」
教師という職業は,何千という数の生徒と出会いますが,名前こそ覚えていなくても,ほとんど記憶の中にインプットしているものです。
まして,生徒指導上,いろいろなことで心配したり,濃厚な思い出があれば,その記憶はあの世に行くまで決して忘れるものではありません。
元旦に行われた剣道初稽古会のあとに,私はある女性と会食をしました。
米山中学校時代の剣道部の教え子です。今は仙台に住み,中学生になる息子を一生懸命育てている立派な母親です。
今日は私の思い出に残るこの教え子と,その母親についてのお話をしたいと思います。
平成8年にその教え子Mさんは米山中学校に入学してきました。当時,頭に角が生えてるといわれるようなスパルタ体育教師の私でした。授業でラジオ体操をするとき,指の先までピンと伸ばさない生徒に対しては雷鳴のような声で叱り飛ばしていたのですが,今考えると全く思いやりのない,だめ教師だったと赤面してしまいます。
入学したばかりの1年生の初めての授業の時でした。
「おい!そこのお前!!なんでしっかり手を伸ばさないんだ!!」とMさんに怒鳴ると,周りの生徒が一斉に厳しい視線を私に浴びせました。
それもそのはず,彼女の右腕は前腕部分からなかったのです。
「しまった!!この子だったのか・・・・・・」
もう後の祭りです。なんということをしてしまったのか・・・・・「なんて詫びれば良いんだ」。ぐるぐると心がつぶれてしまうような後悔の念がわき上がってきます。
でも,私以上にMさんはどんなに傷ついたことでしょう。
体育の授業が終了した後に,一人教官室に呼んで深々と頭を下げました。
「何の部活に入部するの?」という質問に,「私はこのとおり,片手しか使えないので卓球部か美術部に入部しようと思います・・・・・」
とっさに「剣道をやらないか!剣道は左手一本あればできる。これまでも隻腕の名選手を見てきている!!」と話してしまいました。
いままで部活勧誘をしたことがない私でしたが,どういうわけか,勧誘のために1週間Mさんの家に通いました。
米山町で畳屋さんを営む家庭に育ったMさんは,幼い頃,家の手伝いをしている最中に機械に右腕を巻き込まれて裁断してしまう事故に遭ったと話を聞きました。
その事故の瞬間も,家族は泣き叫ぶのに,Mさんは涙一つ見せなかったと・・・・・。
とても温かい家庭で,お父さんは仕事のかたわら,消防団の分団長をしており,近所からも頼りにさせる方でした。
Mさんには2人のお兄さんがいて,彼女をとても大切にしてくれるたくましく,優しい男性でした。
そしてなにより私が魅せられたのはお母さんの表情と言葉でした。この母親の笑顔と優しさが「Mさんの障害を乗り越えるエネルギー」になっていることを痛感しました。
そんなわけでかなり迷い続けて入部した彼女ですが,入部してからは全く休むことなく活動をしました。弱音を吐かないMさんは,私の方が心配になるくらい辛抱強い女性でした。
その彼女を一番悩ませたのが,防具の装着。剣道はひも文化です。初心者にとっては最初の難関です。
両手が使える人でも難しい防具の装着ですが,あれやこれや苦労しながら1年後には立派に誰の手も借りずに結ぶことが出来るようになりました。
こうして,そこまでがんばれたのは彼女の努力はいうまでもありませんが,一番心強かったのは仲間の存在!!後輩達に努力を後ろ姿で見せながらも,我が事のように心配してくれる先輩達。どんなときも,どんなことも,いつも「共に!!」を心に刻み込みMさんが困っているときにスッと手を貸してくれる同級生の強い絆がありました。
私の厳しい指導に立ち向かうには強い絆とお互いを思いやるチームワークが何より必要なことでした。
今振り返ってみると,戦績は上げられない米山中学校剣道部でしたが,この子どもたちのがんばりとチームワークは勤務した学校では最もすばらしかったと感じています。
剣道の練習で最も厳しいのが「かかり稽古」という方法です。これは,よけられても,転ばされても一心不乱にひたすら休まず打ち込んでいく古来からの稽古法です。
今では子どもたちの体力も精神力も,当時の子どもたちから比べるとかなり低下していますから,こんな荒稽古はやらなくなっています。
ある日のこと。夜間練習があり,保護者の目の前で生徒達が死にものぐるいでこのかかり稽古に立ち向かっていました。
倒されても,また起き上がり,何分もつづく練習に息も悶々になりながら,私にしごかれます。
隻腕の彼女も例外ではありません。必死に片手で打ち込んでは,いなされ,かわされては次の瞬間に体当たりで突き飛ばされ,転んで立ち上がろうとするところをまた,突き倒されることの繰り返し・・・・・見ている保護者が目を覆う光景が続きました。
厳しい練習ですが,終了して黙想する部員達の表情は誰もが「やりきった!!」という充実感が溢れていました。
練習の後で,数人の保護者が来て,「和彦先生,Mさんにはもう少し手加減をしてもいいのではありませんか」と話しかけました。
私も,心の中で「そうかもしれないな」と思った次の瞬間,Mさんの母親が言った一言!!今でも忘れられません。
「先生!!いいんです。みんなと同じように。手加減しないでください。あの子はこれからも片腕で生きていかなければなりません。
いつか,母親になったときも片腕で我が子を抱いて,そして片腕で育てていくんです。
片腕だから出来ないなんて そんないいわけするMになってほしくはないんです」
今の時代はなにかあると,すぐに学校に苦情を訴えてくる保護者が多くなってしまいました。母親の期待通りに成長したMさんをみると,可愛い我が子がたくましく育つためには, Mさんの母親のようにじっと辛抱しながら「木の上に立ってみる親の愛情姿勢」が必要だと感じます。
厳しい世の中を,しっかり自分の力で歩いて行ける人間力を身につけさせるのは親にしか出来ないことだと強く思います。