今回のまちナビチャンネルは、株式会社深松組 代表取締役 深松 努さん(ふかまつ つとむ)をお招きしてお送りします。
深松 努さんは、昭和1965年富山県生まれ。全国各地で大規模な施設の建設を手掛ける株式会社 深松組の第3代 代表取締役社長です。
日本大学理工学部を卒業後、前田建設工業株式会社に入社。高さ6メートルもある大規模なシールドトンネル工事など先端土木の経験を積み、1992年深松組へ入社。2008年に代表取締役社長に就任されました。
2017年には、ミヤンマーでのマンション建設現地合弁会社の設立や、沖縄と宮古島の観光事業に着手。リゾート宿泊施設の運営、サンゴ礁をめぐるクルーズ船の就航まで、各地の地域振興に活躍されています。
一方社外では、
一般社団法人 宮城県建設業青年会会長、
東北建設業青年会会長、
仙台はせくら倫理法人会 会長を歴任。
2018年からは一般社団法人 仙台建設業協会 第4代会長に。また市民活動 広瀬川1万人プロジェクトにも自ら参加する市民目線の社長なのです。
かつて誰も経験したことたが無い、東日本大震災が発生したその現地で、発生直後から社員を率いて救助・復旧作業の先頭に立ちました。
この現場からの証言は、自治体の防災計画の見直しに役立ち、学校での防災教育でも生きた教材となるものでした。
災害現場の先頭で見た深松さんの経験談は、全国の学校や地方自治体が開催する防災講演会の場で活かされることになり、講演回数は全国各地で延べ180回を超えています。
「東日本大震災で何が起きて、何が機能しなかったのか」を語る深松さんの体験談は、 被災地の企業として、自身もいち被災者として、リアルで情熱的なストーリーでした。
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耐震補強対策100%を達成している宮城県仙台市。 「地震の多い宮城県が、なぜ津波から人命を守れなかったのか。本当に悔しい」 深松さんは、「この悔しい思いを伝えるために、今まで180回講演している」と語ります。
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停電が何日も続き、断水で水も出ない。そして1ヶ月もガソリンスタンドにガソリンが無いなんて。誰もが災害対策の準備が何も整っていないことを後悔した日々。 関東や東南海を地震が襲ったとしたら・・・。深松さんが提唱する3つの防災準備とは。
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今大学生のみなさんが深松さんと同じ50歳代になるまで、かならず災害はやってくる。 「何のために勉強しているか分からない」という大学生に、深松さんのメッセージが伝わる瞬間がありました。 「将来を担う技術者になって欲しい」深松さんが学生に将来をたくす意味とは。
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大津波警報が鳴り止まない。瓦礫が街を覆い尽くして道もない。 発生直後の救助活動から始まった深松さんの震災体験。 もしも自分がそうなったら、ココに気をつけてほしい。 体験した人しかわからない「くぎ・ガラスの破片・化学薬品」の危険とは。
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震災翌日に援助に駆けつけてくれた神戸市役所。 自衛隊、警察消防、全国の行政からも。 日本人は捨てたもんじゃない。東北への援助は人数10万人を超えました。
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2015年3月、国連防災世界会議が開催された仙台。 「仙台スキーム」「仙台方式」と呼ばれる、震災後に仙台で改善してきた防災の考え方です。 地震が起きて避難する避難所ってほんとに安全なの? その耐震安全性を確認するのに、仙台は3日もかかりました。 瓦礫の自動車所有権問題、瓦礫のリサイクル問題など、 「仙台スキーム」といキーワードが世界に広がっていっています。
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東日本大震災は被災者100万人に対して10万人の災害援助が行われました。 しかし東南海地震の想定は被災者950万人に対して自衛隊、警察消防の災害援助は14万人が限界だと言われています。 「だから、ぜったいに自分で生き残ってくれ」「1週間は自分で生き残る策を整えておいてくれ」「絶対に助けにいくから。」仙台から恩返しします。
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「今後災害が、いつ起こったとしても迅速に対応できる体制づくりのために。」 「全国各地どこでも行って話します。これはライフワークだから」と深松さんは語ります。
もっと体験談を聴きたい。防災講演会を開催したい。 そんなみなさんの願いを、深松さんなら、叶えてくれます。
暮らしと防災のセミナーを開催したいときは、ぜひ深松さんに相談してみて下さい。
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